16 祖父の命日

一週間ほど前、父方の祖父の命日でした。

私はよく「ご両親がお元気で良いね」「お父様といろんなところに一緒に行けて、良いね」とご両親、またはどちらかの親御さんに先立たれた方々に言われることがよくあります。

確かにその通りで、父と一緒にジャイアンツ戦観戦を楽しむひと時や、母と台所で、あーでもない、こーでもないと話をしている毎に、有難く思っております。

でも、その代わりという訳ではないのでしょうが、私には祖父母との楽しい思い出というものがほとんどありません。よく「小さい頃におばあちゃんと縁日に行った」とか「お爺ちゃんに欲しい物をねだって買ってもらった」と聞きますが、私には未知の世界の会話に聞こえます。両親が幼い私を抱っこした父方の祖父の写真をたくさん残してくれましたが、記憶の中の祖父は寝たきりの姿だけ・・・同じく祖母との思い出も、本当に片手の指が余ってしまうくらいの数の記憶しかありません。

まだ幼き頃に旅立った祖父母のお葬式で、人の死がどういうものなのか、もう、どれだけ望んでも会えないのだという事を幼心に知りました。

だからでしょうか、私は10代の頃から、祖父母の命日というものに凄く敏感でした。なので、それらの日々から長い年月が過ぎていますが、現在も命日にはお供えを欠かしておりません。

そして、今年の祖父の命日が巡ってきました。今年はちょうど、夕方からの野球観戦があったので、朝、近くのスーパーでお供えを買い、父に仏壇に供えてもらった後で、昼間、都内に住む叔父を誘って、神楽坂の素敵なお店で父と3人で供養の食事をしました。
(T2様、ご紹介有難う!叔父がとにかく良いお店だと喜んでいました)

父も叔父も、祖父(二人にとっては父親)とのささいなエピソードをたくさん語ってくれました。それも、昨日の出来事のように・・・!

有難いお経も、豪華な供花も、美味しそうなお供えも、全て、故人を偲ぶには良いものには違いありません。

でも、たとえもう二度と現実には会えなくても「忘れない」という事が、決して故人を遠くには感じないで済むのだという事、素晴らしい供養なのだと改めて感じた瞬間でした。思えば、幼き頃に祖父母を旅立ちを送った時に、この事を心で学んでいたのかもしれません。

だから、思い出が少ない事実も決して淋しくはないのですが、ついつい思っちゃうんです。周りの誰かが「祖父(または祖母)が天寿を全うした」という、本来悲しいニュースを聞く毎、お悔やみの気持ちは勿論ですが、同じくらいに「あなたが大きくなるまで見届けてもらえて、良かったね」って。一度、つい口に出してしまい「やばい!」とすぐに平謝りしたことがありましたが、これが逆に「そうか、ずっと祖母に会えていた私は凄く幸せだったんだね。」と感激されました。

そう、親御さんのいらっしゃらない方から見て、私がすごく幸せに見えるように、私から見ると、祖父母に成人式まで見てもらえた方なんて、どれだけ幸せか!!!私なんて、小学校の卒業すら見てもらえなかった。社会に出て初ボーナスで洋服を買って着て貰うことだって出来なかった。だから、大切にして欲しい!

体が不自由になろうが、病気で自分のことを思い出してもらえなかろうが、会えるんだから!成人式で一緒に写真を撮れるんだから!!どんなに会いたくても会えないという事実がまだ時の向こうに隠れていてくれているのだから!!!

数年前に、私はカナダの祖母も失いました。スカボロの祖母は、私を本当の孫のように可愛がってくれました。自分の祖父母に出来なかった分、もっともっと孝行したかったのですが・・・グランマの事も生涯、祖母として忘れることはありません。血が繋がっていないのに、そう思える暖かい出会いと交流があったことに、心から感謝しています。
(2008.7.29)

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