14 想いはいずこへ、いかなる方向へ・・・
私は、実はかなり前、(年数にして10年程前)から居住区の国際交流ボランティアに登録しています。
が・・・残念ながら、市町村が主催するイベントは平日・昼間が非常に多いため、仕事をもっている都合、なかなか参加する機会に恵まれず、これまでも本当に数えるほどしかないのが現状です。
今回、登録者のための英語力スキルアップ研修が開かれました。幸いにも土曜日昼間だったので、参加することが出来ました。
日頃、平日昼間は地元にいないせいか、地元で同じ志を持った方々になかなか出会う機会に恵まれないのですが、この研修を介して、きっかけや、興味のある国などは違っても「国際交流のために何かができないか」と模索している方々と、楽しく語り合うことが出来ました。
前半は、講師の先生で、区内に在住されている在日外国人の方が、自らの経験を熱く語って下さいました(もちろん、英語)。その数々の経験話を介して、自らがかつてカナダ生活で経験した、難しかったことや、悩んだことを改めて思い出しました。そして、自分が周りにたくさん助けられながら、それらの向こうにある幸せな時間を手に入れたように、現在を輝いている講師先生の笑顔に計り知れないエナジーを感じました。
そして、このひと時を通じて、国際交流のさらなる方向を模索するようになりました・・・
カナダでの生活を経て、帰国後はずっと、国際交流を介して不特定多数の方々の役に立ちたいと思ってきました。今、振り返れば、そんなつもりはなかったけれど、かなり無理をしていた時期もあったような気がします。私にとって、これは趣味でも余暇活動でもなく、人生をかけたライフワークであること故、どうしても趣味お気楽な感覚にはなれない故のことなのですが・・・
そんな中、さまざまなことを経た後、2004年秋口に体を壊してしまいました。医師には「休息が必要です。仕事の無理がたたっている。」と言われたこともあり、といっても、組織の一員として報酬をもらっている会社員としての仕事を縮小するわけには行かなかったので、ボランティアである国際交流の活動を、当時引き受けていたイベントのお手伝いを終えた頃から、アクティビティ中心からネットなど、家で出来る事をメインに、しばらくはおとなしくしていました。
そんな様々な事を経た後、今から2年ほど前、PEIの友人の紹介で、地元のある農場に住む、当時15歳の少女とのメールのやり取りを通じて(もちろんたくさんの人の役に立つのは素晴らしいことですが)まずは目の前の一人に何ができるのかということを考えるようになりました。
その少女は、何年か前にお誕生日にたまたまもらった「折り紙」の本を通じて日本に興味を持つようになりました。ある日、私の友人との会話の中で、たまたまその話が出たので「だったら私には日本に友人がいるからメールを出して見ると良い。私の友達だと書けば、EMIKOは絶対に返事をくれるはず」と勧めたとか。少女は結構ナーヴァスになりながらも、私にメールをくれました。
友人がこのことを私に連絡してくれるよりも前に、私は少女からのメールを受け取りました。だから、正直、最初はびっくりしましたが、私はもちろん、この新しい出会いに感謝して交流を始めました。
少女は、私から聞く日本の話に喜び、写真撮影が好きな彼女は、PEIをこよなく愛する私のために、島の表情を撮ってはメールで送ってくれ・・・この頃、今後の国際交流のやり方について模索していた部分があった私は、ようやく答えをもらえた気がしました。こうやって、目の前のひとりの人の為に出来ることをしていく、そうやって、一人、また一人とやっていくのが、国際交流は真剣なるワイフワークだと自負している自分には合っていると感じました。
[・・・その少女とは、その後、2006年の新年に、紹介してくれた友人宅で引き合わせてもらい、会うことが出来ました。又、彼女の母親にもお目に掛れ、楽しくひと時を過ごせました。家が豚農場(350匹以上いるらしい)ということでしたが、私がかつてバーノンリバーの農場にいた事で、Emikoはいわゆる「リアルPEI
を受け入れている」と(まあ、よくこの表現が出ますこと・・・それだけ、PEIは夢の国にされているのでしょうね・・・・)と理解され、次回は必ず農場に遊びに来るようにと言われて有難かったです・・・]
もちろん、だからと言って、不特定の人には何もしないというわけではありませんよ。余談ですが、こんなこともありました。いつだったか、原宿のジャニーズショップの入場整理券をもらった時に、中学生くらいの女の子が私の服の裾を引っ張り、私たちの持っていた整理券を指さすので「これはジャニーズショップの入場整理券よ」と教えると・・・
きょとんとした彼女・・・日本語が通じない・・・
どうしよお・・・わからないんだ・・・と思った次の瞬間、自分は英語が出来たことを思い出しました。[本当に、ばかな話ですが、一瞬どうしよお・・・と思った。その女の子がどこの国の人から分からなかったけれど、外国人に見えなかったから、逆に耳が聞こえないのかと思ってしまったんです・・・手話は出来ない。どうしてここに母がいないんだ!(私の母は手話が出来るので)・・・と焦った。]
その少女がお店に行きたいことを確認し、代わりに整理券をもらってあげて、何時にここに戻ってくれば良いのかを全部説明してあげましたぞ!並んでいたジャニーズファンの皆、皆様から歓声をいただいてしまった時にはびっくりしましたが・・・(笑)これも、一つの国際交流・・・だと思っていますが???・・・
話がそれましたが、区内でのこれからの国際交流の方向についてを熱く語り、何人かの同志との出会いを通じ、さあ、今度はどんなことが出来るのかと、さらに気持が熱くなりました。海の向こうで日本に興味を持ってくれている人、海の向こうに行きたい日本人へはこれまでもいろいろとやってきましたが、現在日本で生きる外国人の人たちの為に、果たしてどんなことが出来るか・・・「ご自分の海外経験から、何をしたら良いのか分かるでしょう・・・?」と言われた一言が心に残っています。はい、それだったら、きっと想像を介してではない、経験を介してなことが出来ると思います!そう考えると、私は何て素晴らしい財産を貰った
のだろうかと、改めて、1995年・1996年の日々に感謝一杯です!
(2007.11.17)